気が動転している時ほど記憶は曖昧になるから、今日も記録を続ける。

雑記

雑記:心身の状態

毎朝、白湯を飲むのを日課にしているのだけれど、仕事をしながら白湯をデスクに置いていたら、手元が狂って自分に白湯をぶっかけてしまった。

上も下もビショビショになり「うあぁあああん!」と素で叫び声が出てしまった。幸いなことに、白湯は程よくぬるま湯になっていたので、着衣状態でお風呂に入ったくらいの温度で火傷もしなかったけれど「朝からついていないな」と気持ちショボショボになりながら着替えをした。

今朝は気温が低く、天気も悪かったので起きるには怠い日だった。夫も、朝から会社に行く予定だったけれど、起き上がれず、お昼前に仕切り直して出て行った。

手元が狂ったのは、たまたまなような気もするし、疲れが出ているような気もする。私は自分でも辟易してしまうくらい、昔から体が頑丈で、精神状態とあまりリンクしないせいで、自分の限界みたいなものをはかれずに無理をしすぎる節がある。だけど、こういう小さなサインが「私よ、”私”は疲れているのですよ」と言われているようで、ありがたいような気持ちにもなった。まだ月経前だというのに出血している状態も続いているので、頭もいっぱいいっぱいだけれど、体の方も、調子を保つのにいっぱいいっぱい何だろうと思う。

最近見てるドラマの話:虎に翼

NHK連続テレビ小説「虎に翼」を見ている。連続テレビ小説を見るのは昔からの日課で、結婚してからも続けている。

今、ドラマの中でかなり大きな事件が動いているのだけれど、ヒロインのお母さんが「気が動転しているときほど記憶が曖昧になるから」と言って、毎日欠かさず書いている記録手帳を書くシーンがとても心に残っている。

この数ヶ月の私の状態ともリンクしていて、その言葉がとても刺さったのだ。

気が動転している時ほど当時のことって思い出せない。これは自分の実体験にもある。高校時代、自分の気持ちが整理出来ず、人に向けて表現することもできず、自傷行為がやめられなくて困り果てていた頃、ブログを書き続けていた。当時はTwitterもまだあまり流行っていなかったから、ツイートするかのごとくブログを頻繁に更新しつづけていたのだけれど、その後ブログを見返すと、今の自分は全く記憶にない当時の出来事などが鮮明に記載されており、今思い出すことと全然違ってたり、場合によっては食い違ってたりする。人間の記憶力なんて本当に全然アテにならないのだなと思った。

今もまさに気が動転し続けている中にいて、絶対に後になって今の時のことって全然思い出せないだろうから、書けるときに書けるだけ書き留めておきたいなと思う。

「ギャンブル依存症者家族」としての自分と生活

平日も自助グループに参加する生活に切り替え始めた。上司と同僚には「今後、家庭の事情があり、特定の曜日は仕事を早く上がる」という旨を伝えた。職場に迷惑をかけないように、自分で仕事を調整しながらにはなるけれど、生活の主軸を「自助グループへの参加」に置いて生活を切り替えていくつもりでいる。

昨日、別の自助グループに初参加した。仲間の方達が優しく受け入れてくれ、とてもホッとした。必要なテキストなどの購入も出来たので、勉強を進めていきたいと思う。

生活を切り替えていかないといけないというのは、結構労力がいる。ただでさえ環境の変化にも弱い自分だから、見知らぬ人たちの輪に飛び込んでいくということも少なからずストレスだし、自助グループに参加するためにあちこち移動するのも結構大変だ。

今の仕事も楽じゃないし、果たして両立していけるんだろうかという不安や、疲れで心が折れそうになったりしているけれど、自分1人で堂々巡りしても仕方のない問題や、自分自身の問題と少しずつでも向き合っていかないといけないという気持ちがあり、もうとにかく頭で考えるより先に体を会場に必死で向かわせているというような感じだ。

まだまだ分かっていないなりに「スポンサー」を見つけたい気持ち。足で稼いで見つけるしかないらしい。

多分なんだけれど、12ステップを進めるにあたり、自分の共依存だけでなく、過去の依存症についても向き合っていかないといけないと思う。自傷行為、お酒、異性への依存…

想像だけしてすでに不安な気持ちがあるのだけれど、一生のうち、多分今が向き合わなければいけないときなのだと思う。少しずつで構わない、だけど歩みを止めないで生きたい。

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